天籟(てんらい)にきけ

中国の老荘思想は老子と荘子の哲学思想であるが、その荘子の斉物論(せいぶつろん)に出てくる文で、人籟、地籟、天籟と出てきます。
それぞれに意味がありますが、この文では、上記3つのうち、天籟が一番重要である荘子は考えています。

天籟にきけ』というのも、出来事を深掘りしていくと、それを引き起こした本当の支配者(真宰という)があるような気がする。それを考えていくことが「天籟(=真宰)を聞くこと」であると。

天籟→地籟→人籟の順で物事は起こり、何かの出来事には必ず天籟(大自然の声)の働きがあり、これについて荘子は人の自由意思すらも、何か目に見えない宇宙の力が働いているのではないか?
自分達が日頃行うことも、元をたどれば周囲の事情とか、生まれ育った環境、教育、時勢の影響など様々なものに支配されて行っている。
そうであるならば、平素自由意志で行っていると考えたものも、実は自分の自由意志ではないかもしれません。
最初から自由意志がないものとすれば、人間の行動に対して是非・可不可の議論をするのは間違いであるかもしれません。

荘子はそのように考えていたみたいです。
これを読み、確かに今までの自分の人生を振り返ると、何か自分の意思とは関係なく物事が進んだことがいくつかあったなと思いました。

現在を振り返ってみても、鍼灸師として働いているが、元々は医師になりたくて医学部を受験し、落ち続け四浪。
とりあえず進学するなら医療系と思い、母や幼馴染の勧めで鍼灸学校に進学。
進学し、資格を取るも、医師を諦めきれず再受験。
再受験するも二次試験の面接で落ち、もう一年勉強すれば受かるだろうと思った最中に父の末期癌が発覚。
今後どうしようかという時に、鍼灸学校時代に仲良くなった後輩の叔父さんが名鍼灸師であり、その人の治療を受け、

『何て鍼灸・東洋医学は面白く、人の身体は不思議なんだ』と実感。

それから本格的に鍼灸師として生きていくことを決心しました。
今の治療院も先代の院長先生とのご縁から引継ぎ、患者さん達のお陰で続けられています。

ここまでで何を言いたいかと言うと、自分の意思も含まれているが、根本的なもの、原因は何か?と問い続けていくと、必ず他者の助言や出会いによって、自分の人生の生き方の指針が決まったと思っています。

勿論、最終的に決定したのは自分であるが、荘子が言うにはそれさえも真宰(しんさい)、つまり宇宙の意思である天籟であり、それに耳を傾けた結果であるから、自分の意思ではないということみたいです。

ここまで読んで、皆さんも自分の人生を一度、幼少期から現在までザーッと振り返ってみてください。

これがあったから今の自分があるな

そういう出来事や誰かの助けがきっと一つや二つはあるかと思います。
また、自分の行動が良くも悪くも巡り巡ってまた誰かの人生に寄与しているものです。
もしそうなら、生きてるだけで世の為、人の為になっているので皆んな素晴らしいということですね。

雨が続いてますが、これも大きく捉えると、草木や農家さんには恵の雨ですね。
僕は靴がびしょ濡れになりましたが(笑)

*もし荘子の考えの解釈など誤っている所がありましたら、お手数おかけしますが教えて頂けると幸いです。

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