私の父は3年前の2022年10月にこの世を旅立ったが、今でも父の夢を見たり、父を思い出す事が頻繁にある。
私自身、息子が産まれ親となったのも理由かもしれない。
最近よく父を思い出すのは、英語の勉強を始めたからではないかと思っている。
父は私が幼少期から大学に入るまで、何なら入った後もほぼ毎日、英語や数学、物理、化学、自身の仕事内容である精神医学を勉強し続けていた。
特に英語と精神医学はよくやっていた。
英語などについては、最初は私や2つ上の姉のために勉強していたのかな?と思うことが多々あったが、最終的には、勉強や学ぶ事そのものが心底好きだったんだろうと私も理解してきた。
そんな事もあり、英語を勉強していると、よく横になりながら英文読解の本を読んでる父を思い出し懐かしい気持ちになる。
それと同時に、
「あぁ、お父さんはもういないのか。今生きてたら、もっと英語の話をしたり、どんな思いで自分に教えてくれていたのか聞いてみたかったなぁ。」と、
そう思いながら、僕自身が何を感じながら生きて、学び、考えていたのか、つい最近2歳になった息子に伝えていきたいと思った。
おそらく父のことだから恥ずかしがってあまり語らなかっただろうが(笑)
私が父から受け取ったものを、私から息子に渡し、私自身の想いも息子に渡し、息子もいつの日か自分の子どもまたは他者に伝える日が来れば、父も私も、息子やその他の人の中で生き続けるのだろうと思う。
「親の死は子どもが死んだ時に完結する」
とS先生から教わった事があるが、一個人の死とは、その人の考えや教え、想いが子や孫など子孫から消え、関わった他者から消えた時に本当に死を迎えるのだろう。
そんなことを、朝の英語の勉強時間にふと思いました。
信じない人も多いかもしれないが、僕は昔から夢には記憶の整理以外にも何か特別な意味があると思っている。
きっとこの頃、父が出てくるのにも意味があったと思っている。
なぜなら、夢に父が出てこなかったら、このような投稿もしなかっただろうから。
さて今日はどんな夢を見るだろうか。楽しみである。